大山日出男プロフィール ~  ニューヨーク版

1982年(24歳)

期待に胸を膨らませて、いざ出発!

82年の正月明け、あこがれのニューヨークに旅立ちました。
当時は1ドルが、250円だったので経済的にも大変です。
航空運賃も今ほど安いものはありませんでしたから、
渡米するのは勇気が要りました。
すでにこの頃は一人暮らしをしながら、自立していたので資金を作ることは難しかったのです。

上空から見たマンハッタン。

僕は学校に行ったわけではありません。
単にニューヨークで毎夜行われている、音楽の現場が見たかったのです。

最初は3ヶ月のつもりで渡米したのですが、
(3ヶ月までは観光ビザで滞在がOKというガセネタガあった?)
1年近く粘りました。

   いきなりダウン?

ニューヨークには一人だけ知り合いがいました。
高校の先輩がジュリアードでオーボエを学んでいました。
ケネディ空港まで迎えに来てもらい、彼のアパートに一泊させてもらいました。

ニューヨークでは皆、自分のことで手一杯です。
次の日には追い出されました。
重い荷物を転がし、タイムズ・スクエアの映画館へ。
ところが残酷なシーンで笑い転げる不良グループに
恐怖を感じ、空手映画に入りなおしました。

まだ治安の良くないNYで、荷物を持った日本人は危険でした。
しかし、空手映画を上映している場所では
なんたってこちらに分があります。

現在のタイムズ・スクエア。

YMCAで巨漢の白人男性にシャワールームで襲われそうになったり
オールナイトの映画館で一晩明かしたりしました。
   
結局、ジュリアードの学生課でアパートを探しました。
英語の拙い僕に先輩がついてきてくれて、交渉が成立しました。
  
やっと住居を探して、落ち着くとこですが
ニューヨークの暗さに、日本に逃げ帰りたくなりました。
異文化の国で、言葉も満足に理解してませんでしたから。

    ライブを聴いて一変!

ニューヨークのジャズクラブが、22:00からスタートだと知らなかった僕は
なかなか演奏が聴けません。
何時行っても休みだ、と思ってました。
音楽の無いNYはただ、暗く危険な街でした。

ある日、同居人のアメリカ人から開演時間を聞いたぼくは
ヴィレッジ・ヴァンガードヘ。
そこで聴いたのは、ジョージ・アダムスのバンドです。
   
素晴らしかった!
心から、NYに来て良かったと感じました。


そこで考えが一変!
NYが魅力的に輝いて目に映りました。
こうなったら、徹底的にお金を節約して、
一日でも、一時間でも長くこの街に留まるぞーっ。
~って心に誓いました。

    ジャズの街、NYに魅了される。

ジャムセッションや数少なかったけどギグ(ギャラのある仕事)
の回数を後で数えると、100回近くになりました。
日本では、月にせいぜい3本ぐらいしか発表の場が
無かったことを考えると、驚異的な数字です。
ジャズ三昧の生活です。

もちろん自分の拙さに落ち込むことはありましたが、
何十倍も吸収することが多かったので、全く気になりません。

あまりにエピソードが多いし、書いているうちに記憶が蘇り、
キリがありません。
それで、NYで聴いたミュージシャンの名前を列挙してみることにします。

間近で聴いたミュージシャン。

         思い出せるだけ、順不同。

SAX

   デクスター・ゴードン、バディ・テイト・アーネット・コブ、ソニー・スティット、
   ルー・ドナルドソン、チャーリー・ラウズ、ジミー・ヒース、スタン・ゲッツ
   クラレンス・シャープ、フィル・ウッズ、ジョニー・グリフィン、デヴィッド・シニッター
   ボブ・バーグ、ベニー・ゴルソン、デヴィッド・ニューマン、ブランフォード・マルサリス
   アール・ウォーレン、フランク・ウェス、セシル・ペイン、ジェームス・スポルディング
   ジェームス・ムーディー、ドナルド・ハリソン、ウエイン・ショーター、ケニー・ギャレット ETC・・・・・
   

BRASS

   フレディー・ハバード、ウディー・ショー、ジョニー・コールズ、ブリット・ウッドマン、
   スティーブ・ターレー、カーティス・フラー、アート・ファーマー、アイドリース・シュリーマン
   ウイントン・マルサリス、テレンス・ブランチャード、

   

RYHTHM

   アート・ブレーキー、フィーリー・ジョー・ジョーンズ、ウォルター・デイヴィスjr、
   ラリー・リドリー、ケニー、ワシントン、ハービー・ハンコック、ミルト・ジャクソン、
   ベニー・グリーン、ケニー・バロン、ジミー、ラヴォリス、ケニー・バレル、ベン・ライリー
   ドン・ピューレン、トニー・ウィリアムス、ロン・カーター、
   

   全然、足りないんですが思い出せません。
   こんなに、演奏を聴いたのはこの時期の他にはありません。

   またこのうち、運良く共演できたミュージシャンもいます。

  バリー・ハリス、ギル・コギンス、(マイルス・デイビス第1集に吹き込まれているピアニスト)
  サディク・ハキム(チャーリー・パーカー、1945年のナウズ・ザ・タイムセッションで演奏)
  ジョー・ジョーンズjr、ジミー・ラヴォリス、
  クラレンス・シャープ(滞在中、最も影響を受けたアルト・プレーヤー。)
  そのほかに、名前は知らないけど素晴らしい演奏をしていた多くのプレーヤー。

  全てのジャズマンに深い感謝をします。

     エピソードなど 

         変化した音楽観

  技術的な面では、サウンドとリズムに大きな変化が訪れました。
  サキソフォンの音は「BIG」と「LOUD」は異なっていることがわかりました。
  ある日、クラレンシ・シャープから「凄いビッグ・トーンのテナーを聴かせてやるから、
  いっしょに来い」といわれてついて行きました。
  そのテナーはいわゆる大きな音ではなく、静かに豊かに演奏していました。

  つまり英語のビッグトーンは、太く豊かな音を示すようです。
  うるさいような大きな音はラウド!と言って嫌がられることも多いようでした。

  しかもこれは、全ての楽器に共通することです。
  日本にいる頃から、ある程度勉強はしていました。
  しかし現場で生音を毎日聴くことで、理屈は現実となりました。

  リズムに関してはNY在中には確実に掴むことはできませんでした。
  けれど、その試行錯誤が現在に生きています。
  リズムとは口で言うことが困難な事の一つです。
  しかしこれはいえます。
  1拍の長さです。
  音楽的には1秒間の長さは1秒とは限りません。
  優れた演奏家はとても長く感じさせます。

   
   

    スタジオ・ウイーのセッション

  マーヴィン・スミス(当時ファラオ・サンダースバンドのドラマー)とジャムセッション後、
  今日はお互い調子がいいから珍しい店に行こう!と誘われて、
  キャナル・ストリートにある「STUDIO WE」に行きました。
  危険なエリアです。午前3時ごろだし、日本人ひとりで歩ける場所じゃありません。
  扉を開けると、全員黒人。
  マーヴィンは黒人なので、すぐドラムのいすに座り演奏を開始します。

  僕は経験で少し待つことにします。
  HIDE!そろそろ始めようぜ。ということで僕もバンドスタンドへ。
  ところが、同行した白人のテナーは楽器を出そうともしません。
  まあいいか、という感じでブルースを演奏。
  場内誰一人、拍手しません。
  もう一曲、スタンダード。これも同じ。

  そこのいることがかなり厳しい状況になって、ステージを降りることにしました。
  するとマーヴィンが、「チェロキー、アップ!!」と言って来ました。
  最後のチャンスですから、一心不乱に吹きました。
  終わったら、それまで冷たかった人たちが「ブラザー」と言いながら、
  握手を求めてきました。
  演奏が拙くて、身の危険を感じたのは後にも先にもこれっきりです。

   
   

  NYでの日常

  とにかくお金はあまり使わないようにしました。
  主食は米。
  韓国や中国の食品店で買います。
  ~で、なべで炊きます。すごく上手になりました。
  あれは音でタイミングがわかるんですね。

  たまに、パスタ。豊富です。
  ソースも安い!当時の日本から比べると肉はめちゃくちゃ安い。

  ひき肉を円盤型に冷凍して、ハンバーガーもよく作りました。
  当時マクドナルドのハンバーガーが80セント。
  安いんですが、僕にとっては220円。・・・う~ん、高い。

  NYにいる間に服はシャツ一枚買っただけです。
  それも公園でのフリーマーケット。
  靴は冬用のブーツで一年を通しました。

  エンパイア・ステート・ビルにも登らず、自由の女神も見てません。
  5番街や、ロックフェラー・センターはバスの車窓からは見ました。

  ただ映画はよく行きましたね。
  それもパニック系やホラー系。
  ストーリが単純なので、英語が聞き取りやすいんです。

  一つだけ大きな買い物をしたとするなら、コーンのアルトサックスです。
  そのうち別のページで紹介しますが、この楽器を17年間使用することになります。

  最後はお金が足りなくなって、ストリート・ミュージシャンもやりました。
  まあ良くて、夕食代ぐらいにしかなりませんでしたね。

  一度無謀にもカーネギーホールの前で演奏してたら、
  ビジネスマン風の人たちから結構なお金を貰いました。
  しかし話を聴いてみると、うるさくて仕事の邪魔だから、
  他でやってくれと言うことでした。
  ま、複雑な心境にはなりましたが、タフじゃないとやっていけません。

   
   

​このあたりで吹いていた。⇒

   帰国

   僕にとって、蜜月ともいえるNYにお別れをする時がきました。
   この街で学んだたくさんの思い出を胸に、飛行機の窓から
   遠ざかる摩天楼を見ていました。 ビリー・ホリデーを聴きながら・・・・。
   不覚にも落涙してしまいました。

   本当に良い経験しました。
   いまだにNYに帰っていく夢を見ます。
   その時はいつも幸せな気分です。

   
   

   帰国後

   何と、とんでもないことに!?
   続きは日を改めまして。
   こんな私的なことにお付き合いくださって、ありがとうございます。